[名所旧跡案内] −山内神社[山内区]−  戻る

 大字山内字志田原にある。
 祭神は菅原神5柱・仁徳天皇・応神天皇・天津児屋根命2柱・天照皇大神・大己貴命・ 大国主命・科長津彦命・科長津姫命・軻遇突知命
 由緒は明治10年3月、村内の16社を合併して山内神社したときに始まる。このときの16社名は次のとおりである。
   字名      社名
   代       愛宕社
   岩下      天満社・大国主社
   小倉      平岡社
   高井越     大国社
   高井越     風津神社
   向畑      平岡社
   森下      天満社
   落合      八幡社
   炎       出雲社
   神ノ迫     天満社
   神ノ迫     伊勢社
   神ノ迫     八幡社平岡社
   宗下      八幡社
   泉下      若宮八幡社
 これらの諸神社のおのおのの由緒については詳かではないが、山内神 社に残る棟札をもとに、略述してみることにする。棟札を分類すると、 権現社系、大神宮系、天神社系、八幡社系、合祀系の五種類となる。
 権現社系は、発祥が享保4年(1719)である。神職大野興基が中 心となって、同年11月4日に、権現宮の造立を行った。その後、100年余り を経た天保9年(1838)11月13日に山内村の庄屋宮成文兵衛が中心となって 社殿を修理した。
 大神宮系の建立は、宝暦2年(1752)6月に始まっている。このときも、 庄屋宮成清左衛門、神主大神出羽守が中心であった。また、これから数十年 を経た文化11年(1814)2月8日に、庄屋佐藤太衛門は藩主中川久貴の武運長 久を祈って、社殿を建立した。
 天神社系では、弘化3年(1846)2月29日、すでに建立祭祀されていた 天神社の補修を行い、庄屋宮成文兵衛をはじめ氏子の安全祈願をした。 その後明治13年5月16日には、社頭一宇を建立して33年式祭を執行した。
 八幡社系では、庄屋宮成文兵衛が中心となって、天保7年(1836) 2月14日に、社頭一宇を建立して、氏子の安全祈願を行った。
 合祀の遷宮祭は、明治15年(1882)5月14日、伍長沓掛武五郎、拘安達水彦が 中心となって行われた。このときの合併神社数は14社であった。社記に述べてい る合祀年は明治10年であり、棟札にいう遷座の明治15年とは5年間のくい違いが あるが、合併が長期間にわたったものか、または、遷座式が遅れたものか、いず れかの理由によるものであろう。
 明治45年5月1日、神殿の修理を行うとともに、拝殿を新設して、33年遷座式を挙行した。  なお、このはかの山内神社関係の諸事について、次に列記する。
1.条神行事
    4月14日
    10月14日
    霜月14日
2.鳥  居
   右柱  明治43年4月吉日
   左柱  氏子中
   正面額 山内神社
3.敷地及び社殿
    神殿  3.3平方b
    拝殿 19.8平方b
[出典:犬飼町誌(昭和53年3月31日発行)]