[名所旧跡案内] −内の久保の上人像 [山内区]−  戻る

・日出町の赤松山願成就寺を開いた上人は山内の生まれの人である。
 上人は小さい時田中の西乗寺の小僧に出された。西乗寺を出て後各地で 修業を積み、立派な僧になって日出町にお寺を開くまでになった。
 立派な僧になって山内帰ってきた上人を見て、近郷の人は大いに驚いた。 この時は自分の家を修繕し、翌年は多くの弟子を従え緋の衣を着けて帰ってきた。
 ここで法を広め、法力によって歯痛、腹痛など諸病を立ちどころになおし、 妊婦を助けたりした。参詣者が多く門前市をなす程であった。参詣者が食べた梨 の実から生えた梨の木が今も境内に残っている。いよいよ日出の自分の寺に 帰るにあたり「自分は日出に帰るが心は永遠に山内に留めたい」として、名工後藤 ク兵衛に自分の座禅姿を刻ませた。これが内久保の上人像である。屋敷跡は荒れて、 木や竹が茂っているが、石像も、社も(昭和25年修築)、石段も残っており、今も 人々の信仰をあつめている。日出のお寺は日出藩主から国光の姓を賜り、今も栄えている。
 [出典:長谷の里生活誌 (犬飼町長谷老人会 平成58年3月31日発行)]