[名所旧跡案内] −永昌寺の十二神将(と地蔵)[長畑区]−  戻る

 長畑部落の中心地に医王山永昌寺という小さな庵があった。この庵は建物 が古くなり修理も出来ない状態になって、昭和56年改築し現代式の建物となり、 その名も長畑生活改善センターと改められ、昔の佛像はその中に安置されてあ る。本尊は薬師如来であるが、別にこの附近では珍しい十二神将が祀られてある。
 十二神将とは佛語で、薬師経をよむ者を守る十二の大将のことで、十二の大将 の姿は如来や菩薩とは一寸変り頭に十二の干支を形とったものを冠している。
 このうち、くびら大将は本地は弥勒菩薩で子の神、ばさら大将は本地は弥陀如来で 丑の神、めきら大将は本地は勢至菩薩で寅の神、あてら大将は本地は観音菩薩で卯の神、 あにら大将は本地は如意輪で辰の神、さてら大将は本地は虚空蔵菩薩で巳の神、 いんだら大将は本地は地蔵菩薩で午の神、はいら大将は本地は文珠菩薩で未の 神、まころ大将は本地は大威徳王で申の神、しんだら大将は本地は普 賢菩薩で酉の神、しようとら大将は本地は大日如来で戊の神、びから大将は本地は 釈迦如来で亥の神で、このうち、くびら大将は金比羅神といわれている。
 これらの十二神将はいつ頃からこの庵に安置されたものか詳でないが、永い年月の間少しの傷もなく守っ て今日に至ったことは、これこそ神佛の守護と部落の人の信心によるものと思われる。
 さて永昌寺の庭には石で刻んだ立派な地蔵立像がある。これは嘉永二年七月、大庄屋武藤半左衛門統親の 妻が寄進建立したものであるが、石工名がない。この長畑永昌寺の地蔵立像 石工名のないことについて部落の古老はつぎのように説明してくれた。地蔵の作者は柴北の後藤郷兵衛(二 代目と思われる)であるが、この地蔵を刻み終って、ふと気付いた郷兵衛さんは「しまった」と言ったとい う。それは地蔵の手が余り長く、合掌しても手が顎に届かない。これは手が長すぎたといって残念がったと 云う話が残っているというのである。なるほど地蔵の身丈は181糎であるが、現在181糎の人の手より 30糎程長いことになる。後藤郷兵衛程の有名な石工でもこんな失敗があるのかと一様古老の話を信じてみ たが、これに異説もある。ある人は郷兵衛さんの失敗ではあるまい。石工の銘を刻まないのは他に理由があ ったのではなかろうか。総て佛は衆生を救うためにあるのであるから、普通の人間より手の長いのはあたり 前ではないかという理である。何れにしても130年前の郷兵衛さんの心中を計り知ることはできないが、 像そのものは立派である。
 [出典:長谷の里生活誌 (犬飼町長谷老人会 平成58年3月31日発行)]