[名所旧跡案内] −長畑神社 [長畑区]−  戻る

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 犬飼町大字長畑字大久保にある。
 祭神は事解男命・伊弉冊命・菅原神・軻遇突知命・神后皇后・仲哀天皇・素蓋鳴命の九柱である。
 由緒は詳かでないが、元村社熊野社であったが明治10年3月に村内の六社を本社に合併して長畑神社と改称したときに始まる。このときの六社名は次のとおりである。
   字名   社名      字名     社名
   北平  天満社     赤見津留   天満社
   牛頭  天満社     カヤ原    八坂社
   田原  天満社     岡田     愛岩社
 これらの諸神社のおのおのの由緒については詳かでないが長畑神社に残る棟札をもとに略述することにする。
 享保3年(1718)に天満社社頭一宇再興し、岡之城主中川内膳正源久忠公の武運長久祈願を行っている。
 安永3年(1774)天満社社頭一宇再興し、氏子の息災延命五穀豊じょうを祈願している。
 天明2年(1782)天満社社頭一宇再興し、正殿に御神躰を奉遷し、岡城主の武運長久と惣産子及び牛馬の安穏息災祈願を行っている。
 文化10年(1813)5月熊野権現宮の拝殿を造建し氏子繁昌穀稼豊熟祈願を行った。また弘化二年(1845)熊野権現宮社頭一宇の潤色を行ない城主の武運長久氏子の安全祈願を行った。
 明治10年(1877)5月熊野社の修繕を行い33年式祭を挙行し天皇御世長盛皇国平穏祈を行った。
 明治27年(1894)陰暦3月3日現在の長畑神社幸所の棟上げを行っている。
 明治40年(1907)4月22日長畑神社の神殿を修繕し、拝殿の新築をなし、33年式略遷座祭を行った。  長畑神社の仮旅所に現在は鳥居と石碑が残っているが、この石碑によると大正10年の春に大きな火災があり9戸が全焼し、その際に神具を焼失したので秋に寄附により新調している。また、幸所が代原にあったが非常に不便であったので大正3年秋現在の鳥居の残る柱松に移転したと記されている。
 なお、このほか長畑神社に関係の諸事について、次に列記する。
1 祭神行事
   昔   4月 8日
   現在  3月18日
2 敷地及び社殿
   神殿  瓦葺  0.845平方b
   渡殿  〃   4.95 平方b
   素屋  〃 5.15 平方b
   拝殿  〃 19.8 平方b
   神輿所 〃 3.6 平方b
   社務所 〃 8.38 平方b
3 鳥  居
   正面額「権現宮」 建立不明
4 燈  籠
   「献燈」 維時弘化二歳乙巳四月吉日
        願主 組長 武藤半左衛門統親

[出典:犬飼町誌(昭和53年3月31日発行)]