[名所旧跡案内] −黒松阿蘇神社 [黒松区]− 戻る
犬飼町大字黒松字宮脇にある。 祭神は、阿蘇津彦命・阿蘇津姫命・菅原神・素戔鳴命・大山紙命・大歳命である。 明治42年5月26日に次の7社を合併している。 字 名 社 名 屋敷上 菅原杜 天神鶴 菅原社 歳ノ神 大歳社 山ノ神 大山祇社 天神鶴 素蓋鳴社 山ノ下 大山祇社 ケヤノキ 大山祇社 由緒について社記によれば次のように記されている。 黒松村は昔阿蘇嶽の噴火激甚のため土灰が散乱して、田畑に災害を被 ることが多く、ひとびとが悲嘆にくれていた。このとき同国阿蘇神社の 社領豊後国大野庄大野郷の内桑原村神戸の部長が、これを憐れみ、阿蘇 神社の御分霊を祭ればこのような災害を除くことができるであろうとい う。黒松村単蔵、久米の両人が肥後の国に行き阿蘇神社に参詣し、許可 を得て、建久3年(1192)同社一ノ宮「阿蘇津彦大神、二ノ宮「阿蘇津 姫命」のご分霊を捧持して帰り、今の位置に社殿を創建して祭祀したと 伝えられている。 しかし、実際には、南北朝時代の創建であることば、本誌「南北朝時 代の郷土」の項に述べているとおりである。すなわち、南北朝時代に、 後醍醐天皇方に加わった阿蘇氏が、その戦功のために、井田郷を与えら れた。間もなく、阿蘇氏は井田郷の自分の所領を阿蘇神社に寄進した。 この寄進によって、黒松村に阿蘇社が勧請されたのである。 江戸時代に入って、明和2年(1765)11月19日12宮大明社頭一宇が補修 された。この神殿の改築は、144年後の明治42年(1909)に行なわれたこ とになる。改築に際して突発的な事件が起って、村民を慌てさせた。こ のときの事情を当社の棟札にもとづいて述べてみよう。 村社阿蘇社は本年17年式にあたり神殿が荒廃したので陰暦正月11日に 氏子総代区長有志等社前に会合して、式年に関する万般のことについて 協議した。その結果2月20日起工した。当時の神職であった北野尚人氏が 神職として神殿内外の構造について、希望を陳べて閏2月12日遷座式を行 った。しかし以前から神社の前面階下が甚だ狭溢で、社務を処理するの に非常に困難をきたしていたので後方一間の場所へ移してはと協議して、 その方向で着々と進捗しておったところ事業もまさに終らんとする27日 突然木匠の鋸刀が断折し、神殿も頓に顛覆した。氏子はこの不慮のでき ごとに一方ならぬ憂心を抱き、これは神慮の恐れありとして社掌北野尚 人に急報した。社掌は即時参向して袖におうかがいをたてたところ、社 殿の位置変更は宜しくないということが歴然としたので、神殿は旧位置 に復することにし、これより日夜精勤して遂に4月4日に竣功し、4月8日 に式年祭を挙行した。この日は朝から曇天であったが参詣の人が多く社 庭は立錐の余地もないほどで頗る盛大に式典が行なわれた。 神殿の修理はこののち、大正10年10月17目、昭和16年4月19日、昭和47年 1月22日と続けられた。その間、寛政9年(1797)、文政12年(1829)、 万延2年(1861)には、それぞれ社殿の潤色(社殿に彩色すること)を行 い、藩主の武運長久と氏子の安全を祈願している。 また文化13年(1816)2月19日には、御輿が寄進され、神社祭礼が一段 と華やかとなった。 このほか、明治26年には拝殿が、大正10年には社務所の増築が、同13年 には申殿の改築が、昭和13年には仮殿の改築が、昭和47年には社殿、拝殿 等の補修がそれぞれ行われた。昭和31年4月19日の33年正遷座祭に際して、 記念事業として浄財を集め、神輿、弓の彩色、獅子頭、大旗、提灯を新調 し、地区民の阿蘇社に寄せる厚い信仰心の一端をしのばせている。 余談ながら、棟札の調査中、一部庄屋の変遷が判明した。すなわち、 事 項 庄屋名 明和 2年 神殿補修 当村庄屋 田嶋幸右衛門 寛政 9年 神殿色彩 当所邑長 田嶋斧右衛門 文化13年 神輿寄進 黒松邑長 成松幸左衛門 文政12年 神殿色彩 庄屋 成松平五郎 万延 2年 神殿色彩 当村長 成松政七 この表から、成松氏は文化年間のころから黒松村の庄屋となり、それ以 前は、黒松村は田嶋氏の掌理するところであった。 なお、このほか、阿蘇社関係の諸事について次に列記する。 1.祭神行事 祈年祭 4月18日 例 祭 9月18日 新嘗祭 11月18日 2.敷地及び社殿 神 殿 19.44平方b 拝 殿 25.92平方b 申 殿 12.96平方b 神輿殿 23.04平方b 境 内 1138.5平方b 3.鳥 居 (1)の鳥居 年号その他記載なし (2)の鳥居 右柱 奉昭和3年4月19日 大塚庄太郎 大塚 一 左柱 納 大塚半次郎 大塚司馬作 高柳 繁馬 正面額 阿蘇神社 (3)の鳥居 正面額 大明神 柱に記載なし 4.燈 籠 一対 右 正面 献燈 裏面 昭和8年 石工 上戸次 朝来野三正 奉納者 村上廉太郎 上野 滝造 左 正面 献燈 裏面 4月吉辰建之 長谷村 黒松 小野 5.唐獅子 一対 大正14年10月5日 右 左側面 宮成吾市 裏面 イロハ順38名 6.神殿新築寄附者碑銘 2基 明治40有二子酉3月中旬建設 [出典:犬飼町誌(昭和53年3月31日発行)]