[名所行事案内] −柴北熊野神社 [柴北下区]−  戻る

(注:動画再生時エラーの時は、右上の矢印ボタンを押して再生して下さい)

 犬飼町大字柴北字樋窪202番地にある。
祭神は、速玉之男神・伊井冊命・事解之男命・奥津彦命・埴安命・菅原神 ・大己貴命・大歳神・保食命の9柱である。
 由緒は明治42年(1909)4月19日に合併したときに始まるが現存する棟札の 最も古いものによれば、享保8年(1723)2月熊野大権現社頭を造立し、国家 安全五穀豊饒諸民快楽祈願を行っている。合併の9社の位置は次のとおり であり、熊野社は明治6年村社に列せられている。
    字 名        社 名
   井の元(現在の市)  奥津彦命・埴安命
   シバノヲ       菅原神
   市(現在市組共有地) 大歳神
   高津原字歳ノ神    大歳神
   柴北字岩下      大己貴命
   高津原字今宮     保食命
 明和2年(1765)5月26日熊野大権現宮一宇造建し領主の武運長久国家安静 五穀豊登祈願を行った。
 天明9年(1789)正月山王権現宮社頭一宇再興し諸願成就祈願を行った。
 寛政6年(1794)6月18日に豊石窯戸命・篇石窯戸命の神体を造立して熊埜三所 大権現宮に宇内安全五穀成就武運長久産子繁昌牛馬安穏息災諸願成就祈願を行った。 このとき岡領主は源久持公である。
 寛政9年(1797)5月11日熊野権現宮社頭一宇補修し餞主の武運長久産子繁昌五穀豊登 祈願を行った。このときの大願主は大庄屋武藤古兵衛藤原統義、小庄屋清松左助藤原豊 貫である。
 文化5年(1808)8月28日荒神御狩衣御袴を寄進した。
 文化6年(1809)8月28日能野大権現宮祭礼を挙行した。
 文化13年(1816)6月18日御正体三尊の彩色を行い信心産子安全、穀稼成熟祈願を行った。
 文政11年(1828)9月24日拝殿を造建した。このときの棟梁は大分郡三佐の吉岡市左衛門直義である。
 万延元年(1860)神殿を造建した。
 万延2年(1861)正月28日能野権現神殿一宇再興し武運長久産子組中安全祈願を行った。
 明治26年(1893)5月16日熊野神社式事修覆し今上天皇細長盛産子安全祈願を行った。
 明治42年(1909)陰暦3月18日熊野社中正遷座式を行い旅所仮殿の移転を行った。このことは棟札に 次のように記されている。
 「熊野社旅所仮殿民家ニ接近シ所在偏取神明崇敬上恐惧砂甚カラズ年来氏子中二、三ノ有志間 二移転ノ説アリシニ今般愈く評議一決シ明治四十二年旧三月一八日現地二移転セリ社殿ハ柴北川二 面シ前庭朝日二輝ク山桜緑深キ松一陣鉾ノ下二在り風光絶美長へこ旺盛タラン輿奉仕ノ社掌北野尚人謹 ミテ自ス」
 大正14年(1925)4月4日熊野社33年大正遷座式を行った。その際神殿を修理し、社務所および玉垣を新築した。
 昭和15年(1940)10月21日熊野社17年遷座式を行い神殿修理、拝殿、申殿、神庫、社務所、手水鉢の建設を行 った。これについて棟札に次の如く記されている。
 「去ル昭和十四年七月二十三日大風雨ノ為メ神殿後方向ツテ左側高所土砂大音響卜共二墜落、拝殿申殿神庫 社務所及玉垣倒潰シ唯々神殿一宇ヲ残スノミ、実二大惨状ヲ極ム。依而直二氏子ハ期セスシテ参会シ拝殿申殿 神庫及社務所ノ建築ヲ議定シ、其ノ筋ノ許可ヲ得工事二者手シ昭和十五年十月二十日神殿修理拝殿申殿 神庫社務所ノ建設竣功、昭和十五年十月二十一日拝殿申殿社務所ノ落成式並二天之注連式例祭神事祭挙行、 翌二十二日午後十時遷御全ク終了ス。」
 昭和32年4月18日式年遷座祭を謹行し天下泰平国家安穏氏子繁栄五穀成就祈願を行った。
 なお熊野社関係諸事について次に記す。
 裏の岩に大きく「熊野宮」と刻まれた磨崖字がある。古老後藤セイさんの話によれば、口伝として聞いてい ることば、祖母「シュン」が幼少の頃父後藤斧茂がお宮の裏の岩堀りに行っているので午後になると、お 茶を持って行ったことを覚えていると話していたとのことである。
 この「シュン」は嘉永元年(1848)生まれだから10歳のころとすれば、安政5年(1858)となる。万延元年と の差は三年であるが少くともあの工事は1,2年は要したであろうと思われる。なお石工の斧茂も名工であった ようだが、おじの二代郷兵衛(文化7年生)が47歳位で1番元気盛りの頃で、何れ棟梁は二代郷兵衛であったと 推測される。
1.祭神行事
   祈願祭 旧4月18日
   例大祭 旧10月28日29日
   この例大祭は長谷地区最終の祭りで獅子6頭(柴北、高津原、黒松)羽熊(三の岳)が出、また山車を 現在の沈橋のお宮側より斜に川の中を引き、現在の渋谷一利氏のおもやの前に引き上げ旅所まで行き、翌日 この逆に引きおかえりをしていた。
   霜月祭 旧11月18日
2.境内社、敷地及び社殿
   牛王社 祭神  猿田彦命  由緒不詳
   山神社 祭神  大山祇命  由緒不詳
   神殿    19.44平方b
   拝殿    27.00平方b
   申殿    12.96平方b
   神庫     7.56平方b
   境内   2226.4 平方b
3.鳥居
   (1)の鳥居  施主 紋之蒸  石工 森下重兵衛
   (2)の鳥居  享保10年8月   願主 市野太郎右衛門
4.燈籠
   (1)  左  市野紋之蒸
      右  武藤伝右衛門尉吉忠
   (2)  左  発起人  渋谷藤松
      右  明治42年8月建之

  [出典:犬飼町誌(昭和53年3月31日発行)]