新飼宝塔(黒松)

     

大分県指定有形文化財

黒松庵の横の山道を少し登った雑木林の中に、宝塔が二基並んで立っている。ともに凝灰岩で造られ、南北朝時代の貞治6年(1367)10月に造立されたものである。
 向って右側は、欠損箇所のない完全な形を保っており、総高2メートル31センチである。ふつう、相輪部分や笠の部分が欠損していることが多いが、建立から630年以上を経てなお完全な形で残っている宝塔は大変珍らしく貴重である。
 左側の宝塔は、形や大きさは右側の宝塔と同様であるが、相輪は一度折れて欠落したものを接いで補修している。また、笠及び基礎の一部分が欠損している。
 二基とも「為逆修也」と刻銘があり、逆修塔として道立されたもので、右側が「仏子・正善」、左側が「比丘尼・仁正」と名前が刻銘されている。
 逆修塔とは、自らの供養のために生前に道立された塔のことである。正幸と仁正はともに仏に仕える信心深い夫婦であったのであろう。
 宝塔は全般に丁寧に造られており、相輪上部の宝珠は火焔で覆い、露盤は各面を二区分して縦連子が彫られている。塔身には、金剛界四仏の種子が薬研彫りされており、基礎にはふっくらとした美しい格狭間がれている。