宮脇宝塔(黒松)

     

大分県指定有形文化財

黒松地区にある阿蘇神社社殿の左横に、数基の石塔とともに立っ ている。
 享和3年(1803)に編纂された『豊後国志』に、大友家13代 親綱の墓として、「阿蘇12社林そう中に在り」と紹介されている 宝塔である。但し、塔身にある墨書の紀年銘「貞和四年戊子2月9 日」は、西暦1348年にあたり、親綱の没年長禄2年(1458)より 110年も前に造立されたことになり、疑問が残るところである。
 全体に丁寧に造られているが、宝珠の火焔部分と笠の三隅が少し 欠損している。総高は2メートル43センチである。
 露盤は笠と一石で、各面を二区分し縦連子が彫られている。塔身 には新飼宝塔に彫られているような金剛界四仏の種子はなく、650 年以上の時を経てもなお墨書銘が薄く残っている。また塔身の 首部にはお経を納めた納経孔が穿たれており、かつては経筒に入れ たお経が納められていたのであろう。基礎には、形の美しい格狭間 が四面に彫られている。