親綱宝篋印塔(柴北)
豊後大野市指定有形文化財
柴北地区の大聖寺境内に、「開山塔」とよばれる宝篋印塔と並ん
で建立されている。
『豊後国志』に「大友親綱墓、大聖寺中亦有一塔、刻日、長禄3
年2月」とあり、黒松地区の宮脇宝塔とともに大友家13代親綱の
墓と伝えられてきた宝篋印塔である。長禄3年は、室町時代で西暦
1459年になる。
宝珠を囲む火焔は、大部分欠損しているが、総高は2メートル9
センチである。
露盤は、各面2区分され格狭間が彫られている。笠の上2段は、
縦連子の段と蓮弁の彫られた段があり、下には二段の段形がある。
隅飾突起には渦紋があり、一隅は半分程欠損したところがある。
塔身正面には、親綱の戒名である 「大聖寺殿前左京兆耀山光君公
菴主」の頭書の部分「大聖寺殿」が円の中に彫られ、裏面には、「耀
山光君大居士長禄3己卯2月初6日」と彫られている。基礎は2
重枠の中に格狭間が彫られ、上には二段の段形と下部には蓮弁が彫
られている。
隣に並ぶ「開山塔」より少し小さいが、相輪・笠及び基礎の格狭
間の形などは大変よく似ている。