武藤家長屋門(長畑)

     

豊後大野市指定有形文化財

 武藤家はもと大庄屋で、旧藩時代は長畑・山内・粟ケ畑の三大字 を所管していた。
 邸宅は広大で、長屋門は北側にあり、その建築規模や方法からし て大庄屋を偲ばせるものがある。
 昭和55年に大阪工業大学教授(建築学)の工学博士青山賢信氏 が調査されて、建築年代は江戸末期のものらしいが、石垣等は江戸 中期以前のものと推定されている。
 問口は、南側9メートル25センチ、東側31メートル45センチ、 奥行5メートル55センチで、東南に金の手に造られている。暴風雨 などによる倒壊を防ぐために建て増したものといわれている。  中央に間口3メートル75センチの潜り門があり、村人はこの潜り 門から出入りしていたという。(正門は邸の南側にある) この潜り 門の南側に馬屋と堆肥舎がある。北側には20平方メートル程の部屋 があり、少人数の会合や子供の手習いなどに使用したらしく現在もそ の面影を残している。またその隣りには33平方メートル程の大部屋 があって部落の集会などに使用されていたらしいが、現在は取壊わさ れていて空地になっている。
 以前はこの長屋門は草葺であったが、大正12年近所に火災が起 きたため、危険であるということで、その直後に瓦に茸替えたとい う。
 昭和56年当主の武藤弘氏は、長屋門がかなりいたんで危険な 状態となり取壊そうとされたが、各方面からの慰留もあって思い止 まり、大修復してこの建造物が残ることとなった。