大聖寺弁財尊天像(柴北)
豊後大野市指定有形文化財
江戸時代後期の文政11年正月に大聖寺の現状について藩の寺社
奉行に報告した書類によると、弁財尊天は鎮守大弁財天神となって
いる。そしてこの弁財天を祀る九尺に九尺の瓦茸の建物があったよ
うである。それが、明治7年京都の本山に提出した寺の現状報告で
は、鎮守大弁財天神を祀る建物はなくなっている。これは明治初年
に、政府が仏教排斥運動を行なった時に、神に関するものは総て寺
院から排除してしまったが、そのために弁財天を安置した建物が取
り除かれたのではないかと思われる。像の高さは37センチ、台座
を入れると57センチである。
九州大学の菊竹淳一助教授が来山した際、内陣の檀家仏壇にある
厨子を見て、これは何かと問われたので、全く開いたことのない厨
子を開いた。すると助教授は、「これは弁財天で、この場所に祀っ
てあるのはおかしい。他所に祀るべきである」 と言われて、その後
現在のお堂を建立して祀ることとしたのである。
このことは、明治初年の廃仏毀釈の時、大聖寺の鎮守である弁財
尊天を、寺から外部へ持ち出されることを恐れたために隠したので
あろうと推測されている。
弁財天は人に対して無礙弁才を授け、幸福と智恵を与え、延寿・
財宝を得るようにはかり、天災地変を除滅し、戦勝をもたらす仏神
として崇敬された女神で、七福神の1つである。